共に生きる Feed

2013年1月23日 (水)

分離教育からインクルーシブ教育へ画期的転換

文科省が、インクルージョンの意味をやっと正確に理解してくれたことは、2010年末に紹介しました。やっとではありますが、本気で、分離教育から、共に学ぶインクルーシブ教育への転換を実行してくださるようですので、大いに期待したいと思います。

平成24年7月23日、文部科学省初等中等教育分科会は、「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」をネット上に発表しました。

以下に、画期的な点を紹介します。

・共生社会の形成のために、障害者の権利に関する条約に基づくインクルーシブ教育システムの理念が重要としていること。

・インクルーシブ教育システムにおいては、同じ場で共に学ぶことを追及するとともに、個別の教育的ニーズに応える。これはすべての子どもにとっても、良い効果をもたらすとしていること。

・(「多様な学びの場」の一部として、特別支援学級、特別支援学校を残してはいますが、)就学先決定については、障害のある子どもは特別支援学校に原則就学するという従来の仕組みを改めるとし、本人・保護者の意見を最大限尊重するとしていること。

・障害のある子どもが十分に教育を受けられるための「合理的配慮」の否定は、障害者の権利に関する条約において、障害を理由とする差別に含まれると明示していること。

・「合理的配慮」の充実のための「基礎的環境整備」のために財源を確保するとしていること。

・多様な子どものニーズに的確に応えるために、学校全体で対応することはもちろん、特別支援教育支援員の充実、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカー、ST(言語療法士)、OT(作業療法士)、PT(理学療法士)等を活用したり、必要に応じて医療的ケアの観点から看護師等を確保するとしていること。

・すべての教員は、特別支援教育に関する一定の知識・技能を有する必要があり、特に発達障害に関する一定の知識・技能は、発達障害の可能性のある児童生徒が通常の学級に在籍していることから必須であるとしていること。

・学校自体が「共生社会」となるよう、教職員に障害がある者を採用するとしていること。

(文科省を動かすに至る地道な努力をしてこられた関係各位と国連に感謝申し上げます。)

(N.I.)

2011年5月25日 (水)

利他のすすめ チョーク工場で学んだ幸せに生きる18の知恵  大山泰弘著

帯にー知的障害者に導かれて、「日本でいちばん大切にしたい会社」をつくった経営者の心温まるメッセージ。ーとあります。

知的障害者雇用に尽力されてきた、あのチョーク工場(社員の七割以上が知的障害者であり、業界トップシェア。障害者に健常者と同じ賃金を払っています)の社長さんの書かれた本であり、生き方に感銘を受けました。こんな社長さんが増えることを願ってやみません。

お釈迦様の知恵。で始まります。お釈迦さまは、修行につまづいていた周利槃特に「お前にはお前の道がある」と「塵を払わん、垢を除かん」という言葉と箒を与えました。それから一心に掃除をする姿が尊く、手を合わせたくなるほどであった彼を「無言の説法」ができる者としてお釈迦さまは修行最高段階の十六羅漢の一人に選んだのでした―という話で始まります。社長さんは自分自身が周利槃特に手を合わせて生きてきたようなものだとおっしゃています。 知的障害者は時代や社会の影響を受けない、移ろいやすい世の中の「定点」のような存在とおっしゃっているのに感銘を受けました。従業員の知的障害者の中に自閉症を持つ方たちがいらっしゃることは描写からうかがえます。             

1959年、時代の価値観に浸り知的障害者に偏見さえ持っていたという社長さん、熱心な養護学校の先生から三度頼まれ、二人の知的障害を持つ少女を二週間の就業体験のつもりで引き受けました。無心で単調な仕事をし、「ありがとう」の言葉に心から嬉しそうな笑顔をする少女たち。最終日には、社員たちによる、「私たちが面倒をみるからあの子たちを雇ってあげてください。」との申し出。と初めは受け身的な出会いでしたが、何か導かれているようだったとのこと。社長さんは、知的障害を持つ少女たちからの「無言の説法」に気づいたのです。        

決意した社長さんは、知的障害者と本気で向き合うようになり、知的障害者を主力とする会社をつくろうと強い意志を持って歩き始めました。そう決意したとき、道は開けたと私は思います。本気で向き合うこと、それは愛だと思います。

知的障害者が理解しやすいように、彼らの目線に立ってさまざまな工夫を考えました。健常者の社員にいつも話しました。「うまくいかないことがあっても、知的障害者のせいにすることはできないんだよ。彼らの理解力に合わせて、彼らがうまくできるように工夫するのが君の仕事なんだ」と。本気で思い、工夫するーこうして、知的障害者が主体的に働ける製造工程も、社員間の信頼関係も築いてゆきました。

社会の偏見、無理解とも戦ってこられた様は、愛する家族を守る父親のように見えます。社長さんの姿勢に感服する外部からの協力要請や支援などを得て、ホタテ貝殻入りチョークや粉の出ないチョークも開発できました。  

知的障害者に教えられ、人のために生きてこそ人は幸せになれるという生き方をしてこられた社長さん。会社は人を幸せにする場所であるーと、企業こそ利益第一主義でなく、幸福の意味である「福祉」を追及するべきだと、福祉主義を提案し、広がらない障害者雇用の現実がどうにかならないかと具体的に提案してくださっています。(本当は社長さんのように本気で取り組んでくださる社長さんが増えることで社会は変わっていくと思います。また、「共に学ぶ」インクルージョン教育はそれを促進するでしょう。) 

(N.I.)

2011年1月 3日 (月)

名探偵モンクが教えてくれること①共に生きる

名探偵モンクを見たことありますか?実に面白く、心温まる番組です。それは、「共に生きる」社会の理想像がそこに描かれているからです。

Monk_2 NHK BS2

強迫性障害の探偵さんという設定ですが、間違いなく自閉症のモンクさん。

自閉症だからこそモンクさんは、誰も気づかないことに気づいたり、誰もが見逃すものを見つけたりして、天才的に明快に事件を解決していきます。警部さんは、そんなモンクさんの名探偵ぶりを尊敬していて、事件解決は全くモンクさん頼みと言っていいほどです。

心温まるのは、周囲の警部さんたちやいつも一緒にいて支援してくれるアシスタントの女性が、モンクさんのこだわりや苦手なところをそのまま尊重してモンクさんが落ち着くとおりにしたり、時には本人のために励ましたりしているところ(メンター的役割)です。だからこそ、モンクさんは、特別な能力を存分に発揮できるのです。

周囲の人々の愛情はモンクさんをトラウマからも解放してくれています。また、モンクさんの純粋なままの人間性に接するうちに、周囲の人たちも人間の本質に気づき、本当に大切なものがわかっていき、成長していきます。

警部さんが、モンクさんのことを「何かが足りないと思っていたがそうではなかった、あまりにも人間らしすぎるんだ!」と言っていますが、自閉症者のことをとてもよく表してくれているセリフとして胸に響きました。

モンクさんとモンクさんを囲む人々との関係が社会に広まっていけば、共に生きる社会の実現は近いと思います。

(N.I.)

2010年12月30日 (木)

文科省がインクルージョンの意味をやっと理解!?

「共に学ぶことのみが,共に生きる社会を実現する」(じゃじゃ丸トンネル迷路

2010年年末になって、ビッグニュースです。これまで分離教育に固執してインクルージョンの意味を曲解していた文科省から,画期的文書が出されており,最初はとても信じられませんでした。

この文書については,12月27日に文科省からパブリックコメントが募集されています。タイトルは,「中央教育審議会初等教育分科会特別支援教育の在り方に関する特別委員会論点整理に関する意見募集の実施について」です(当該文書へのリンクがあります)。意見の受付締め切りが2011年1月23日ですので,インクルージョンの正しい意味を認めた点について文科省を是非ほめてあげて下さい。

これまでの文科省は,平成17年(2005年)12月に同じく中央教育審議会から出された答申にありますように,インクルージョン・ノーマライゼーション・サラマンカ宣言のことを引用しているにもかかわらず,インクルージョンやノーマライゼーションをその意味があたかも「分離したまま障害者を頑張らせること」であるかのように紹介し,「ひとりひとりに必要なニーズは普通クラスで供給されるべき」としているサラマンカ宣言の理念を完全に無視してきたわけです。

ところが,今回の文書には,「インクルーシブ教育システム(包容する教育制度)の理念とそれに向かっていく方向性に賛成」とし,「インクルーシブ教育システムにおいては、同じ場で共に学ぶことを追求する」と記載されており,インクルーシブ教育の理念が同じ場で共に学ぶことであることをやっと認めてくれています。さらに,「障害のある子どもと障害のない子どもが共に学ぶことは、共生社会の形成に向けて望ましいと考えられる。同じ社会に生きる人間として、お互いを正しく理解し、共に助け合い、支え合って生きていくことの大切さを学ぶなど、個人の価値を尊重する態度や自他の敬愛と協力を重んずる態度を養うことが期待できる」とまで言及しており,初めてじゃじゃ丸トンネル迷路と意見が一致しました。

他にも背景があるようですが,この変化の一因は,「障害者の権利に関する条約」であるようです。繰り返しになりますが,分離ではなくインクルージョンを理想とする1994年のサラマンカ宣言の理念は,日本ではただの宣言としてみごとに無視されてきたわけです。ところが,2006年に採択され,2007年に日本が署名し,現在批准に向けての検討がなされている「障害者の権利に関する条約(国連)」の第24条に,「(初等教育から高等教育までの)全てのレベルでのインクルーシブ教育システムを締約国は確保する」ことが明記されているのです。これは宣言ではなく,条約ですので,批准するつもりであれば,何らかのモーションが必要になってくるわけです。

段階的な移行の必要性を付記してある点や,連続性のある「多様な学びの場」の一つとして分離教育の選択肢を残している点など,いろいろな議論があったことがうかがわれますが,とにかく,インクルージョンの意味を理解してくれただけでも格段の進歩と言えます。

(S.I.)